トラとフクロウの飼育小屋

Twitterの文字数じゃ語り切れねぇな、と思って開設したブログ。読んでくれたら嬉しかったりする。

相棒がきっかけで役者を志した話

2023年9月28日(木) NHKラジオ『ふんわり』より

 

東京都20代 トラとフクロウ

お二人と言えばやっぱり「相棒」。とくに伊丹刑事が大好きです。

私にとって「相棒」は自分の人生を大きく変えた作品です。相棒がきっかけで演劇に興味を持ち、川原さんに憧れて役者を志し、今年の春に地元から上京しました。

いつの日かお二人と共演できる日を夢見て日々頑張っています。

 

 

……このお便り、私である。

 

 

このブログはXのフォロワーさん向けに書いているがそれ以外の人が見た時のために説明しておくと、このラジオ『ふんわり』の木曜パーソナリティが米沢役の六角精児さんで、この日のゲストが伊丹役の川原和久さんだった。

 

で、私は川原さんの大ファンである。読まれたらいいな~と思いながらお便りを送ったら本当に読まれちゃったわけだ。

 

 

荒ぶる私。ラジオネームがXのアカウント名と異なることからわかるかもしれないが、最初はお便りが読まれても一人で喜びを噛み締める予定だった。が、全然無理だった。

 

これが実家にいる頃なら母親をたたき起こして「ねえ読まれた!お便り!読まれた!!」と騒ぎまくっていたと思う。そりゃもうウザがられるくらいには。けど今は東京。どこにもこの喜びを吐き出せる場所がなかった。そもそも身の回りに私が相棒の大ファンだと知っている人すらいなかった(実はとっくにバレていたらしいけど)。だからすぐに喜びのツイートをして、あっさりと「トラとフクロウ」=「とらふぃ」なのをバラしたというわけ。

 

 

そうしたらフォロワーさんやそうでない方からもたくさんの「いいね」を頂き、たくさんの応援の言葉を頂戴した。本当に嬉しかったです!ありがとうございました!

 

その時に「役者を志すまでの経緯を書き連ねてみたいな~」という趣旨のツイートをしたら思いのほか「いいね」を頂き、「待ってるよ~」というお声も頂いた。

 

ので、書いてみました。前置きが随分長かったですが、それでも読んでいただけるよという方がいらっしゃれば幸いです。

 

 

 

 

相棒との出会い

相棒を見始めたのはシーズン19の途中からだった。人生に多大なる影響を及ぼしたわりに最近。確か9話『匿名』あたりからだったんじゃないかと思う。

 

その頃は『科捜研の女』が好きで、刑事ドラマ全般が好きだった。そこでふと「刑事もの好きなのに相棒見た事ないな」と気づき、じゃあ見てみようと思い立った覚えがある。

 

視聴前の私の相棒知識はというと、歴代4人の相棒の存在は知っていたし、ひとつ前のカイトの卒業理由がとんでもねぇってこともYouTubeか何かで見てて知ってた。鑑識の米沢さんも知ってた。あと捜査一課の刑事は二人だと思ってた。三浦さんの存在知らなかったんだよね。

 

というのも、私は相棒より後に生まれている。2000年のpreよりあと。すごいね、生まれる前から放送してるドラマが20代になった今もやってるなんて。だから三浦さんがいたシーズン13までとなると小学生だから記憶に残ってないんだろう。じゃあなんで歴代4人知ってるんだよ、というのはよくわからない。再放送を見てた記憶もほとんどないし。なんでだろう?

 

そんな状態で見始めたシーズン19。まず、捜査一課に女性がいた。誰?鑑識が米沢さんじゃなかった。誰?サイバー担当のキャラがいた。誰~??

 

そんな感じで知らないキャラが多かった。しかも見始めたタイミングがタイミングだったので刑事部長はキレイなジャイアンになるし、正月スペシャルで知らない準レギュラーは出てくるしで大変だった。シーズン19は最終回が初回からの続き話だったのでもっと大変だった。

 

が、結局シーズン19を最後までちゃんと完走した。面白かったのだ。そこから相棒にずぶずぶとハマっていったんだと思う。

 

伊丹さんにハマったのもたぶんこのシーズン19が原因。相棒ファンがざわついた16話『人生ゲーム』のあのワンシーン。フルーツサンドを所望する伊丹さんのシーン!あれで直接沼に落ちたというよりも、フルーツサンドがトレンドに入り、伊丹さんがフルーツサンド好きであるという事実に大騒ぎしている皆さんのツイートを見ているうちに……なんだか伊丹さんが気になり始めたのだ。

 

つまり私が相棒に、伊丹さんにハマったのは皆さんのせいである。たぶんフォロワーさんたちのツイートも見てたと思う。責任取ってね!!

 

 

 

演劇に興味を持つ

順調に沼へと落ちた私。ウィキでメインキャラの情報を読み漁っていた時、ふとその一文が目に留まった。

 

「脇を固める俳優達に従来のドラマのような人気俳優などではなく、小劇団出身者を多く配していることが特徴である」(Wikipedia引用)

 

へえそうなんだ、と。なんとなく気になり、俳優さん個人のページも読むようになった。そして過去作品を見るようになった。「相棒の伊丹刑事」だけが好きだったところから「俳優の川原和久さん」が好きになったのはこのタイミング。

 

そしてちょうど同時期に、たまたま演劇部の同級生の公演を見る機会があった。しょせん学生演劇……なんて舐めてました。そりゃもう「クラスメイトなんだし一回くらい見とくか~」くらいのノリだったし。学校の演劇鑑賞会とかは途中で寝るタイプだったし。けれどそこで「あれ、演劇って面白いじゃん」と気づかされた。

 

相棒で演劇に興味を持ち始めたところに「演劇って面白い」という衝撃を受け、その結果が「私もやってみたい」となったわけである。

 

やってみたいとなったらどうするか。地方で演劇が軽いノリでできる場所なんて一つしかない。

 

大学で演劇サークルに入ろう。

 

 

……ここまでの話、さも「シーズン19後のオフシーズン期間の出来事」のように書いているが、実際は「シーズン19放送中の出来事」である。

 

ちょっと自分でもびっくりしている。だってこれが本当なら相棒を見始めて2、3カ月で「演劇やろう」に行きついているわけだ。そんな馬鹿なと思ったけどこうじゃないと時系列が合わない。昔から推しに急転直下でハマるタイプだったから納得できなくはないが、それにしたってちょっと自分が怖い。

 

 

 

演劇を始めたものの

さてここで問題。シーズン19の頃、世の中はどうなっていたでしょう?

 

正解は……「コロナ禍真っ盛り」

 

コロナで大打撃を受けた大学生と演劇界。その二つが掛け合わさる演劇サークルなんてもう……な~んにもできない。

 

無事にサークルに入ったはいいものの、基本はマスクだし、換気ができないからこの部屋は使えませんだの消毒がどうこうだの。できないことのオンパレードである。これでもコロナ流行りたての頃はサークル活動自体が出来なかったので、活動できるだけ全然マシではある。

 

活動に制限がかかることよりも深刻だったのが、「一年間活動できなかった」という事実。このせいで先輩後輩のつながりが途切れ、サークルに在籍しているのがサークル活動をしたことがない面々だけ、というとんでもないことになっていた。

 

これがどのくらい深刻なのかというと

  • 今までどうやって公演の台本を決めていたかわからない
  • そもそもどこで練習していたのかわからない
  • 未経験者に教えられる人がほぼいない
  • 何月に何をしていたのかまるでわからない
  • 予算がいくらあるか知らないどころか誰が管理しているかも不明

 

という、もうそれはそれは大変な事態だったのだ。さらに最悪なことに、数少ない高校演劇経験者の中で誰も裏方経験者がいないという前代未聞の事態。誰も音響・照明ができないのである。

 

……すごく話が脱線した。要約すると「コロナ禍の演劇サークルはめっちゃ大変だった」って話です。

 

 

オフシーズン中に再放送を見たり、シーズン20が始まったり、相棒コンサートの開催が発表されたり、冠城が卒業したり……。この年はサークル活動に励みつつ無難に過ぎていった。

 

 

運命の一年

私にとって運命を変えた一年。要するに去年の話である。

 

6月、コロナ禍でなかなか行くことができなかった扉座の公演にやっと行く事が出来た。『神遊―馬琴と崋山―』を見に地元から夜行バスでえんやこら。

 

早朝から聖地巡礼とばかりに警視庁と警察庁法務省とロケ地の公園を写真を撮りながら練り歩き、博物館の展示をありえない速度で通り過ぎながら夜の公演へ滑り込み。

 

初めて見る「芹沢」じゃない山中崇史さん。正直、圧倒されました。いつも相棒で見ていたthe後輩な芹沢とは全然違う姿。役者なんだからそりゃそうなんだけど、「すごい」と、かっこいいと衝撃を受けました。

 

実はそれまでは、伊丹さん及び川原さんがダントツトップに推しで、他キャラはみんな「普通に好き」のレベルでした。芹沢もそれは同じで、伊丹さんとのコンビは大好きだけど、単体としては普通。そんな感じ。

 

それがこの公演を見た事で芹沢及び山中さんが一気にギャンと伊丹さんとのツートップに躍り出ました。そんなわけでフォロワーさん、私は芹沢も山中さんも大好きです。

 

 

 

亀山と相棒コンサート

東京から地元に戻った数日後、あの一報が日本中を駆け巡った。

 

「五代目相棒、亀山薫

 

衝撃。その一言。あの時私はちょうど布団に入って寝る前のTwitterの確認をしていたところだった。早朝発表のツイートを寝る前に見てるってどういうことだ、というツッコミはいったん置いていくとして……。

 

その目に飛び込んできた文字が、画像が、認識できなくて。思わず大声を出しそうになった。たぶん小さな悲鳴はあげた。完全に眠気は吹き飛ぶし、心臓はバクバクするし、興奮で全く寝れそうになくて、その日の大学の授業は諦めた。

 

トレンドがほぼ相棒で埋まったあの日。伊丹ファンもそうでない人も亀山くんとの絡みを期待して「特命係の亀山」もトレンドに入っていたあの日。

 

亀山復帰で相棒全体が盛り上がったのも、私の人生に影響を及ぼしていると思っている。盛り上がっているからこそ、私はさらに相棒にハマり、どんどん憧れを抱くようになったんじゃないかなと思う。

 

 

さて、夏ごろになってサークルの公演の練習が本格化し、だんだん私の中に「演じるって楽しい」という気持ちが芽生えだした。でもこの頃はまだなんとな~く「将来は役者もありかな」くらいで、就活の時期が来たら考えるか、くらいのふわふわな考えだった。

 

サークルで仲の良かった子には「役者なりたいなーってまだなんとなく思ってるだけなんだけどさ、どう思う」みたいな話はしたが、まだただの理想だった。

 

 

9月になり相棒コンサート東京公演が行われた。私は二日目の夜公演に参戦した。本当は伊丹さんがゲストの大阪公演に行きたかったのだが、最速先行の時はゲストが未発表だったので東京公演を取ったのだ。この時には芹沢も推しになっているからいいんだけども。学生に東京行って一カ月しないうちに大阪は無理だと諦めました。大阪遠いし。

 

Twitterのアカウントを作ったのはこの時期だった気がする。亀山復活の盛り上がりと、相棒コンサートの盛り上がりに一緒に混ざりたくてウズウズして作ったのだ。たくさん交流したり、知らない情報を知れたり、応援してもらったり。アカウント作ってよかったです。ありがとうフォロワーさんたち。

 

まだこの頃は友人知人がいたわけでもなくソロ参戦なので一人できゃあきゃあ盛り上がってそそくさと地元に帰ったわけですが、サークルへのお土産で買った特命係木札クッキーが好評だった。相棒に詳しくない同級生がナチュラルに神戸尊を「こうべソン」と読んでいて、本当に伊丹さんみたいな読み方する事あるんだなと大笑いした記憶がある。確かに初見で「かんべ」は読めない。あと相棒が好きな先輩が釣れて仲良くなった。

 

 

実はこの時期に、私が役者を志すきっかけとしてかなり重要な事が起こっているのだが、身バレと関係者たちへのもろもろでちょっと書けないのが悲しい。役者の道を本気で考えるきっかけになったかなり重要な出来事なんだけど……。いつか書けたら嬉しいけど……諸般の事情で無理そうかなあ……。

 

でもすごく大事な事があった。それだけわかって頂ければと思います。

 

 

その後、行けない予定だった相棒コンサート大阪公演に行ける事になったり、コンサートに特命係参戦で昼夜参戦が確定したり、シーズン22が始まってテンション爆上げだったり。いろいろあった。

 

 

 

大学どうすんだ問題

シーズン19から相棒にハマり、大学で演劇サークルに入り、今年の春に上京。この文章を読んで「おや?」と思っている人もいるだろう。

 

お前、大学はどうしたんだ、と。

 

 

中退しました。

 

 

この時期にはほぼ、将来役者になろうということは決めていた。サークルで自分も演技をするようになって、相棒やいろんな作品の見方が少し変わった。

 

私は、いわゆる「名バイプレーヤー」と呼ばれるような、そういう方向を目指している。推しが川原さんや山中さんだから、というのもあるが、意識してドラマを見ると純粋にすごいと思ったのだ。

 

もちろん主役やメインもすごい。けど、けして出番は多くないキャラがどうしてこんなに印象に残るんだろう。そう思った。

 

伊丹さんだって、最初は刑事ドラマにいがちな「主人公に敵対する嫌な刑事」だったはず。セリフも出番も初期はそこまで多くない。台本に書いてある情報量なんてたかが知れているだろう。それをキャラに深みを持たせ、相棒のキャラの中でも随一の愛されキャラへと成長したのは、川原さんだったからこそなんじゃないだろうか。

 

 

役者になると決めたのはいいとして、問題は今すぐ行動するか、大学卒業後にするかである。

 

これはさすがに迷った。どうしても「大卒」という称号を手放すのをためらった。世の中学歴社会だなんだと言われているし、アルバイトをするにしたって高卒よりは大卒のほうが受かりやすいだろうし。そもそも私自身、高卒にいいイメージがなかった。だからとても迷った。かなり迷った。

 

 

そんなタイミングで学科の先生との面談があった。成績不振者のお呼び出しである。ちなみに成績が悪かったのは提出物の未提出と寝坊で単位を落としまくっていたからだ。100%完全に自分のせいです、はい。

 

その面談で先生に「本当にやる気あるの?」としっかりめにお言葉を頂いた。たぶん怒ってたんじゃないかな~。学科の必修科目ばっかり単位を落としていたので、先生の気持ちもわかる。そりゃ怒るわ。

 

口では「あります」と言ったものの、実際はなかった。役者を目指そうと思う前からすでになかった。大学に入学してから学んでいくうちに気づいちゃったのだ、「この大学で学んでも目指す職業には就けなくね?」と。私の下調べが甘かったのもあると思うけど、教授陣の経歴を見て「いやこの大学からはなれないだろ」と悟った感じ。

 

まあ要するに大学で勉強するやる気がなかった。単位を落としすぎて、この期に必修科目を落としたら留年が決定するくらいにはギリギリで生きていた。うちの大学は指定の学年に上がるタイミングで一定数の単位が必要なタイプなのである。

 

 

家に帰って母親(役者になりたい話は伝え済み)に面談の話をした。

 

「じゃあやめる?」

 

これは嫌味とか「やる気がないなら金払わないわよ!」とかそういう意味合いではなく、「じゃあさっさと辞めて役者目指す道探したら?」という意味である。すごいあっさりと言われた。私も「やめちゃう~?」なんて軽めだった。

 

うちの母親は良き理解者で、その日も「大学を辞めるかどうか」というよりかは「役者を目指す場合、どう行動すればいいか」についてしっかり話し合った。どこかの養成所にいくのかとか、いつ上京するのかとか、お金をどうするかとか。

 

だいぶ具体的に役者への道を考えたわけだが、やっぱり中退には迷いがあった。7割くらいは中退に気持ちが傾いていたが、残りの3割がまだ振り切れなかった。

 

 

が、決心は意外な理由ですぐについた。

 

一つでも単位を落としたら留年が決定する必修科目。その中に、出席がギリギリの授業があった。度重なる寝坊に加え、コロナ関係で休んだ分も欠席カウントになるようで、次に一度でも休んだら即単位を落とす。そんな状況。

 

朝起きて、時計を見て。

 

寝坊していた。

 

留年決定。

 

実に面談の2日後のことである。

 

あっさりと決まった留年に、「あっ、辞めよ」と今までさんざん悩んでいた中退する問題もあっさり解決した。

 

あとで母親に言わないとな~とのんきにそのまま二度寝に入ったことを覚えている。

 

その日の夜からは養成所やら研究所やらをリサーチしたり、家探しをしたり、大学の学費を出してくれていた祖母にご挨拶しに行ったりとドタバタしながら3月を迎え、私は東京へと旅立った。

 

 

 

あとがき

以上、私が上京するまでのお話である。だいぶ長くなったし、「私が大学留年した話って読みたい人いるか?」とか思いながら書いたが、そんな事を思ってたら文章は書けない。きっとどこかにはいるんだよ!

 

こうして文章を書いていたら思ったより筆が乗ったので、随時こうやってブログ的な何かを更新していくかもしれない。すぐかもしれないし、数か月後かもしれない。読みたいよって人がいたら幸いです。